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セデーション

iPadで洋楽について調べていたら、たまたま海外のカラオケアプリを見つけ、信頼できそうなものだったのでダウンロードし、外国のいろんな人が歌っている歌を聴いてみました。
すると、昔いちばん上の兄が車の中で聴いていた、

I Wanna Be Sedated

というロックの曲を見つけ、懐かしい思いで聴いたのですが、ふと、「Sadete ってもしかして、“セデーション”の動詞形?」と思い、辞書で調べたらその通りでした。

鎮静剤を打たれて、静まりたい。
(オレに鎮静剤を打ってくれ)

みたいな意味です。
わたしは二年ぐらい前だったか、半分冗談ですが、よく、

「頭を静める薬があったらほしい。頭が止まらない。抑制したい」

と言っていたので、全く意識していなかったこの曲の意味を知り、意味のないこの偶然に笑いました。
当時のわたしは、騒ぎ回る方の興奮状態ではないのですが、ときどき頭が変に覚醒(?)して困っていました。
何かをやりだすと頭がどんどん冴えてきて没頭し、脳内の過剰な興奮状態みたいのが自分では容易には止められない感じになり、しかも、一旦冴えてしまうと苦しくてもしばらく収まらず、つらいのです。
何かに熱中することは悪いことではありませんが、そんな状態では眠ることもできず、行き過ぎです。
わたしの脳は、取り掛かった小難しいことを途中で放り出して休むような雰囲気もなく、集中力や充実感もありながら、なんだかとても苦しいのでした。

そのようなとき、足がだるいというか邪魔な感じがして、むずむずします。
活発に活動中の脳が対象物にのみ集中することで、今は不要な体の一部分が邪魔になってくるのかは知りませんが、ずれた靴下をちょこっと直すのも面倒で、苦痛なぐらいでした。
そのとき、「わたしは今、脳だけで生きているのでは?」という気さえします。
リラックスとは正反対の状態です。


さて、「セデーション」という言葉をわたしが初めて聞いたのは、在宅療養中だった母の口からです。
母はこの言葉を、おそらく訪問看護師から聞いたのではと思うのですが、ある日、母が、

「お前。わたしが最後になって、もう駄目だと思ったら、“セデーションお願いします”って言うんだよ」

と言いました。
わたしはそのとき、その言葉の意味を深く考えずにいました。母が続けて、

「難しい言葉だから、間違うんじゃないよ」

というので、わたしは、

「うん。セレブレーション、お願いしますって言えばいいんでしょ? わかった」

と言いました。セレブレーションは、「お祝い」とか、「お祝いの式典」の意味です。
母は思い切り笑って、

「そうだ。セレブレーションを忘れずにお願いする! お前っ 忘れるなよっ だはは」

と言っていました。

この曲を改めて聴いたとき、ふとあのときのことが浮かび、その頃の母はまだ元気でいつもの笑いがあったなあと思い出しました。

しかし、セデーションという言葉の意味を考えたとき、あの時も今も、笑っている場合ではなかったのかもしれません。
おそらくこの言葉は、使うときの状況により、ニュートラルな意味にも悪い意味にもなることでしょう。

薬で「最期の」苦痛を取り除くという意味です。


やっぱり何事も、最後は「セレブレーション」が待っていなきゃなあ。
ですから、この歌手が癌で亡くなっていることをいいことに、タイトルを変更します。

I Wanna Be Celebrated!!
( And My Mama Wants To Be Celebrated!!)

(なんか、ロックじゃなくなってるけど)


タグ : 在宅療養
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