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梵鐘気分  [梵鐘と旅する男]

あるお寺のまだ若い和尚さんは窮地に陥っていました。
檀家が少ないため法事もなく、祈祷をお願いされることも最近はめっきり減り、したがって収入が無く、自分が日々食べる分にも困る有り様です。
元来まじめな性格、新しいことを始めるのは苦手で、そうじゃなくとも寺が珍奇なことを始めて稼ぐわけにもいきません。
最近の和尚さんは身も心もふらふらして、午後6時の鐘をつくと脚がよろけ、

グォ~ン……

と、梵鐘(ぼんしょう)までもがひもじい哀れな声を出すのでした。
そのとき、鐘の音と共鳴して一瞬だけ盛り上がる己の心の状態を、和尚さんは「梵鐘気分」と名付けましたが、その言葉で表現せんとする孤独と寂寥の分厚いハーモニーは彼特有のものですから、それを語り合う仲間もいません。仏教の話でもありませんし、そもそも人と話すのが苦手なほうなのです。
しかし、心の中でひとり、「鐘の音が引き起こすこれこそが仏教なのかしら?」と思ったりもしました。

そんな和尚さんですが、冬のある日、つかの間の梵鐘気分が終わらんとする午後6時2分、

「……そうだ。梵鐘売ろう!」

とひらめき、それはよからぬことに違いないのですが、本人は何かすばらしいことを思いついたかの様子で、小躍りでも始めんばかりです。
おそらく、この数年のひもじい憂鬱ですっかり気分が変調してしまったことに、彼は気付いていないのです。本来の彼は、寺の宝物を売って金にするなどという、悪いことを考えるような人物では決してありませんでした。

それはともかく、彼が梵鐘に、

「あしたは外に連れてってやるぞ! 都見物だ!」

と言うと、梵鐘も梵鐘で状況を察すればいいものを、素直な顔をほころばせてたいそう慶び、

「やった! お花見とか紅葉とか、楽しいんだってね!」

などと、真冬なのにはしゃいでいます。京都タワーにも、「一応」行ってみたいのだとか。
そんなわけで、和尚さんと梵鐘の小旅行が始まったのでした。


つづく


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お前がいなきゃ  [梵鐘と旅する男]

さて次の日の午後、和尚さんは梵鐘を街に連れ出しました。
初めての外出に梵鐘は大慶び、なんでもない日常の風景の中、桜やもみじを見る観光客のようにきょろきょろしています。
和尚さんは、この鐘をみすみす質屋に入れるような馬鹿ではありません。
直接ほかの寺に売るのがよかろうと考えていました。

梵鐘は安くないのです。
新しく作らせるより、中古のものでも欲しいという寺はいっぱいあるはずだと睨んでいます。古いものが尊ばれる世界でもあります。
ニュースで見たには、重要文化財でさえ、闇で高値で売買されているのだそうです。
見込み客は電話帳でリストアップしてあります。もちろん、総本山にすぐにばれることを避けるために、同じ宗派は外しました。

和尚さんは、それほど大きくもないとあるお寺の前で立ち止まり、

「ここの住職に、ちょっと挨拶していくよ」

と、梵鐘に言いました。
梵鐘は、

「じゃあ、庭でも見て、待ってる」

と言いました。和尚さんが、

「こらこら。お前がいなきゃ駄目だろう」

と言うと、梵鐘ははにかんで、

「じゃ、一緒に行く」

と言いました。
和尚さんと梵鐘は、並んでお寺の門をくぐりました。


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探しているのは  [梵鐘と旅する男]

和尚さんと梵鐘は、庫裡(こり)の小さな応接間のような部屋に通されました。
突然他宗の知らない若い坊さんがやってきて、このお寺の住職はさぞいぶかしがっていることでしょう。
和尚さんは出されたお茶をすすりながら、どう切り出したらいいものかと考えつつ、まず始めは努めて他愛のない話をするべきであろうと思ってはいるのですが、いかんせん口下手で話題が続きません。
そわそわと落ち着かない様子で、ときどき意味もなく梵鐘を撫でては、

「よい鐘でしょう。うちのです」

などと上の空で言っています。
こんな重いもの……案外200キロ以上あるのでは?……を寺から持ち出してきて、いかにも不審人物です。
ふと気付けば、和尚さんのお茶を横から梵鐘が飲んでしまったらしく、思わず空の湯のみ茶碗を持って、

「おかわりっ」

と、真っ赤な顔で叫んだりもしました。
住職は、あきれたのか、それとも心から気の毒な人に見えたのか、

「ずいぶん、おつかれのようですな……」

と、呟くように言いました。

そうしているうち、ふと気付くと、隣りにいたはずの梵鐘の姿がありません。
上ずって赤ら顔になっていた和尚さんは、一気に真っ青になり、

「まずはご挨拶まで。さいならっ」

と言い、外に飛び出しました。

「どこじゃどこじゃ? どこに行ったのじゃ! もしや、窃盗団に、持ーちー去られたーのでは」

と、念仏か真言でも唱えるかのように呟き、おやおや、小さな庭園の芝生に立ち入ってうろたえています。
すると背後から、

「和尚~」

と、梵鐘の声がしました。
 
「なんだ、いたのか。海を渡ってしまったのかと思ったよ……」

アジアからの窃盗団の仕業ではなくて和尚さんはほっとしましたが、彼の心こそ彼岸に渡っていたようです。
二人は門を出て、寺を後にしました。


来たときとは違いとぼとぼ歩く和尚さんに、梵鐘は言いました。

「さっきの寺の鐘がさあ、なんかちょっと生意気なやつだったよ」

和尚さんは顔を上げ、

「鐘? 鐘があったのか?」

と聞きました。すると梵鐘は、

「横ちょにあったよ」

と答えました。

「なんか、重要文化財だとか言って、ちょっと気取ってんだよな……」

和尚さんは、

「なら、仕方がない」

と呟き、そのまま無口になりました。
あのお寺が立派な梵鐘を持っているなら、初めから売りに来る必要はなかったのです。
梵鐘は、しゅんとしている和尚さんの顔をときどき覗き込みながらも、初めての観光散歩を楽しんでいました。
そして、しばらく歩いて立ち止まり、

「はあん? 分かったぞ!」

と言いました。

「和尚さん! あんた、もしかして、お見合い相手を探してくれてるの!?」

梵鐘が嬉々とした顔で尋ねました。

「突然、都見物だなんておかしいと思ってたら、そういうことだったか! まあ、今回は相手が重要文化財だから、確かに仕方がない。ランクが違うんでしょうよ。だけど、結婚の心配までしてくれてありがとう!」

梵鐘は嬉しそうな顔をして、スキップするかのように歩き出し、ずっと前まで行って和尚さんを振り返り、もう一度、

「ありがとう」

と、はにかむ笑顔で言いました。
和尚さんは、まさか「探しているのはお前の結婚相手ではなく、売却先だ」とは言えず、幸せそうな梵鐘に申し訳ないと思いました。


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